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秋吉台の聖人・大理石の恩人 本間俊平氏はじめに本間氏は眼光の鋭い偉丈夫で雄弁家と言うより熱弁家であった、信念ある人間愛に溢れ、即行動に移す無鉄砲さと思慮深さを兼ね備え、達筆達文、著書も多く、一度彼に合うと忘れることができない不思議な魅力があった。明治から大正、昭和と、秋吉で大理石産業の聡明期を築き、多くの人に愛を与え、とくに恵まれぬ人の為に生きた彼の人生は、現代にまで光を放ち感動を呼び続ける。 美祢大理石生産者組合は地元の大理石文化振興のため、過去の大理石関連の出来事や資料、写真の掘り起こしを進めています。中でも、本間俊平氏は「秋吉の聖人」「大理石の恩人」と呼ばれた人で、山口県の大理石を検証していく上で忘れることはできない人物です。氏の通った道はまさに秋吉の大理石の礎となっていて、我々山口大理石オニックス組合員は、微力ではありますが本間氏の後輩として大理石業の一翼を担っていることに、誇りと責任を感じております。彼の偉業をより多くの人に知って頂き、ここに簡単ですが氏の足跡をまとめました。 本間俊平氏伝
幼少期~少年期
明治二十二年、二年続きの凶作で無職無銭の大衆が巷に増え、各地で暴動が起きる、この時、本間は弱者、囚人、乞食また職工の悲惨な状況や境遇の悪さに心を傷めた。神の存在に疑念を抱いていた本間は十八才のとき、数人の門弟を従えキリスト教の講演会を妨害したが、満場の殺気にもひるまず、壇上で教義を説く説教者の態度を見て、不思議な感銘に打たれ、その夜、夜店で聖書を購入する。 青年期明治二十七年、二十一才。日清戦争が始まる。就任していた北海道庁で収賄の疑いをかけられ退職、経済的苦境に立たされる、夏、札幌から東京まで無銭徒歩の旅を決行、東京で官舎建築に職を得、軍の命令で極秘裏に韓国に渡る。十一月、本間氏との連絡が途絶え、札幌で生活に貧窮した両親は函館の知人をたよって無銭徒歩にて移動中、寒村の漁具小屋の軒下で縊死(父六十一才 母五十五才)。本間氏は翌年帰国後、この事実を知り深く嘆く。明治三十年、二十四才、東京霊南坂教会にて洗礼を受ける。熱烈で独特な信仰と実践的な伝道活動で、自ら不遇の人達の中に入って感動と希望を与える。東宮御所御造営局に奉職、おもに建築資材調達に従事する。 秋吉時代(はじめ)
明治三十五年、二十九才、東宮御所(今の迎賓館)建設にあたりその内装に使う大理石の調査に、本間氏は秋吉の地に赴任を命ぜられる。当時すでに小規模ながら大理石業を営むものが有り、彼等と共に大理石の鉱脈を調査した、一度は建築材としては適さないと判断したが、一ヶ月後、彼が東京に帰ろうとすると、回りの者が彼を慕い、山の所有者の小川資源氏も本間氏を見込んでひきつづき山を任せたいと申し込んだ。
秋吉時代(初期)
長門大理石採掘所一周年感謝会史に、『我に一金なし、我にあるもの唯六人の田舎職工と、盲一人、唖一人、新平民として人に唾されつつありたるもの十六人、余と合わせて二十五人。始めの半年は殆ど眠る能わず、寒風寝室を襲ひ、飢餓一族に及び、加ふるに病魔襲来、一人として健康なるものなく、一碗の麦飯も時としては食たりし事あり。かかる間にも天長の佳節を以て我職工夜学会は呱々の声を揚げ、以来幾多の迫害は雲の如く圍い来り、時に暴雨我らを麦の如くに篩ひし事あり、幾多の障伎礙相繼で到りしも斯事業は駸々乎として進歩し、今や職工夜学会は十有二人の生徒を有し、工場又他二十二人の常備職工を有し、百般の準備漸く整ひ、今や我工場内に讃美の声高し、あゝ讃むべきは主の御光栄なり。』とあり当初のきびしい状況がうかがえる。 秋吉時代(中期)
やがて近代化を進める日本で電気の配電盤に大理石が使われるようになると、これを美祢地域の大理石がほぼ独占した、三菱、住友からも注文が入り、十年後には東京に出張所を開設し、秋吉には第二工場が操業を始めた。その間、商品は無検査でないと提供しない、そのかわり値段は先方に任せるといった「本間の商法」を通し抜く、事業的には二度の破産を経験するが、不屈の精神と信仰で再建する。 秋吉時代(後期)昭和に入り、しだいに経営を次男の五郎にまかし、本間氏は執筆や講演活動を積極的に続けた、講演地は地元はもちろん日本全土に及び彼の話しは聞く人の心の奥深くにとどいた。その感動は混迷の社会に生きる勇気を与えた。 晩年本間氏はまた手紙魔であった、総数は年間数千通、電話で話すように矢継ぎ早に送り付けた。また中央の財界、文化人との交友も広く、森鴎外は本間氏の生き方に感動し「鎚一下」と題する小論を残している。本間氏自身の著書や本間氏に関する伝記、書籍も数多く当時を知る上で貴重な資料となっている。その他、本間氏には不思議な直感力や啓示が随所にみられる、それがキリスト教に由来するのか本間氏自身によるものかは判らないが、聖人に相応しい伝説となって本間氏の個性を際立たせている。
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